地平線の階段2005/09/08 22:28

八白赤口の木曜日。いやまったく早いもので、夢のような…若干悪夢も混じったような(笑)、、あのHMF2005から早4日も経ってしまった。その間、九州、四国、中部方面では台風14号が猛威を震い、我が家の雨戸もガッタガッタ♪とオーティスしておったのであった。なにはともあれ台風一過のアブラヤ地方、久方ぶりの快晴と相成った。。

んで…そのHMF2005なのだが、自分なりに2日間のレポートなどをアップしようかと、、一時はその気になっていたのだが、諸事情により結局は止めておくことにした。。とりあえず表現意欲は猛烈にあるものの(ほんまかいな…)いかんせん、、寄る年波の成果主義とやらで、最早出演アーティストの名前さえ思い出せぬていたらく。。だが…しかしフェス2日目、文字どおり大ラスを飾った細野晴臣のステージに、このフェスティバルが集約されていたような気がする…。

そうだ!あの大雨はきっと我々を試したのかもしれない。おそらく齢58歳の御大が、「君たち!この雨を乗り越えてごらん。そうすれば僕もナニか…一寸演るつもりだよ。」と。(おいおい、、そんな…)

かくして、夜8時を過ぎていた頃だろうか、おそらく後々語り草になるだろう…伝説のステージに遭遇することと相成った。。「ろっか・ばい・まい・べいびぃ」「僕は一寸」「Pom Pom蒸気」…嗚呼…もう言葉にならない。。我々オーディエンスから発する猛烈なリスペクト光線、そして、そんな我々の思い入れを、飄々と茶目っ気たっぷりに去なしながら、その実、圧倒的に濃密な音世界に、いつの間にやらスズムシさん達も御唱和していたのであった。もちろん帰途はハッピーだった。。

ただいまのBGM:Oar / Alexander Spence (1969)
あのモビー・グレープで中心的な役割を担っていたアレクサンダー・(スキップ)・スペンスが、その生涯を通じてたった1枚残したソロ・アルバム。それもドラッグによる後遺症治療のためにモビー・グレープを抜けたあと、療養生活の合間を縫いながら、歌から楽器演奏の全てを1人で作り上げた渾身の佳作。ドラッグ(後遺症)との戦い云々でいへば、『hosono house』もそうなのだろうか…。。後に、ベック、ロバート・プラント、トム・ウェイツなどが『More Oar』なるトリュビュート盤を出したが、こちらもナンとも云えぬほど胸に染み入る作品になっている(特に1曲目のロバート・プラントによる「Little Hands」は鳥肌モノ)。。

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