球春到来しただす2009/04/13 22:12

四緑友引の月曜日。いやまったく…今月最初の記帳と相成ったのである。はふぅ。。

さて、昨日の日曜日、あっしが所属しておる草野球チーム”ワイルドアローズ”の試合があった。

春日部市野球連盟会長杯なる今年最初の公式戦。それも朝の8時にプレイボールといふことで、前夜早寝して試合に臨んだのだが…残念ながら5:0でボロ負けしたのであった。はふぅ(しょのに)。。

負けはしたが、平均年齢が大凡30代後半の我がチームに、今大会より17歳といふ思いっきし若い選手が入団した。ちなみにあっしのせがれなのである。

先々月だったか、練習試合に急遽やっこさんを連れて行ったところ、派手に打ちまくるわ、塁に出ればスルスル走り回るわ、さらには慢性捕手不足だったチームにとって、本塁から二塁までノーバウンドでスローイング出来る逸材だったせいもあり(笑)、監督以下の熱烈(?)な要請を受け入団した。

ちなみに…あっしはプレイボールからゲームセットまで、熱血三塁コーチャーとして頑張ったのだが、昨日のゲームで三塁まで到達した選手は皆無だったのである。はふぅ(しょのさん)。。

で、一回戦敗退が決まるや伊奈や、せがれめと電車に飛び乗り東京ドームまで巨人阪神戦を観に行った。流石は伝統の一戦…こちらはあっしのチームとは雲泥の差…延長十二回まで熱戦を繰り広げドローゲームと相成った。

さて、右端の写真は、国際宇宙ステーション(ISS)に長期滞在中の宇宙飛行士、若田光一さんが、オーロラビジョンを通じておこなった「宇宙からの始球式」 のヒトコマでした。

光の球場2009/04/26 23:34

つい先ほど知ったのだが、我が千葉ロッテマリーンズに本拠地移転の噂が出ているらしひ。それも日経の朝刊スポーツ欄に書いてあったそうなので、ひょっとしたら噂のレベルではないのかもしれない。いったいどないしたんやろ?はふぅ。。

それにしても…川崎球場時代の所謂暗黒時代を知っている者にとって、現在の千葉マリンスタジアムにおける盛り上がり様は、まさに隔世の感がある。なにしろ、昨季の観客数はリーグ3位の約160万人に達し、どーやら関東圏では巨人に次ぐ2番目の動員数らしひ。

さて、あっしがまだガキんちょの頃、まだロッテは東京オリオンズと名乗っており、東京は荒川区南千住の東京スタジアム(東京球場とも云う)を本拠地としておった(遠い眼差し)

当時(昭和40年代前半頃)の東京スタジアム周辺は、マンションなどの高層建築物はなく、低い平屋や二階建ての住宅がギッチリと建ち並ぶ、まさに下町の風景そのままで、ひょっとしたら路地裏で星飛雄馬と星一徹親子がキャッチボールをやっていてもおかしくない街並みやったように思ふ。

そして、東京スタジアムは別名「光の球場」とも呼ばれていた。下町の住宅街に忽然と現れた巨大なスタジアムは、夜間ともなればナイター照明が遠目にも矢鱈眩かったのではないかと思ふ。なにしろ常磐線南千住駅ホームからは「光の球場」が煌煌と輝いておった。。

そもそも…あっしの伯父さんが大の野球好きで、さらには彼のすぐ近所に住んでいた高校球児が、当時(1965年)破格の契約金で東京オリオンズに入団したのが東京スタジアムとの馴れ初めだった(遠い眼差し2)

今でも瞼を閉じれば、その東京スタジアムのスタンドから眺めたグラウンドの光景が鮮明に浮かぶから不思議不思議。。

フィールドは外野だけでなく、内野のインフィールド部分にも天然芝が張られており、カクテル光線に映し出されたダイヤモンドは青々としていた。

それに…たしか座席もエリア別に、バックネット裏周辺が青、内野指定席が黄、内野自由席が赤と色分けされており、当時の後楽園球場の座席などよりも遥かにゆったりと広めに作られていたような気がする。

それからホームランが出ると、スコアボードに”HomeRun!!”と電光表示されるのが子供心に衝撃的だった。

さらには冬期限定で、スタンドの一部がスケートリンクとして解放されておったらしひ(あっしは滑ったことないのだが…)

残念ながら東京スタジアムは1972年限りで閉鎖され、1977年に解体され、現在では荒川総合スポーツセンター(軟式野球場2面付き)と南千住警察署が建っている。。

嗚呼、、いっそのことまた南千住に球場を建設して、古巣に戻ってきてほしいもんだす。。

YouTube: こちら葛飾区亀有公園前派出所 - 第185話「光の球場」